上京してきてはや半年、人混みを歩くのにも慣れてきた。
東京はどこへいっても人。人。人が多い。
そして、いろんな人がいる。
例えば、会社のオフィスがある表参道はとりわけファッションにおいて多様である。
見たこともないような形の服や、(良い意味で)熱帯魚のような色のヘアスタイルをしている人が次々に通り過ぎる。清々しいほどの個性を振りまき、羨ましさすら覚える。
そして、多くの人は彼らに目もくれない。
私が生まれ育った関西では、よく言えばフレンドリー悪く言えば干渉ともとれるコミュニケーションが多かった。
高校生の頃ダメージデニムを履いていると、電車で隣に座ったおばあさんに「あんたズボン破れてんで」と言われるところから会話が始まる。気になったものや人にはすぐに声をかけたくなるのが関西人の性なのかもしれない。すごく通りすがりに声を発した人が誰に話しかけているのかと思ったら自分だったこともざらにある。
東京では、ふとすれ違う人と話すことも、電車で隣に座った人と会話が弾み仲良くなることもない。
見た目に限らず多様な人がいるが、その時その場所にいなければ一生交わることがなかったであろう人と会話をすることはほとんどない。 次々にすれ違う人々は景色になってしまっているのだろうか。
だが、言葉はなくとも、視線を向けていなくとも、そこにお互いの存在は感じている。 すれ違う人の纏う香りが、その人の嗜好や背景を想起させる。
雑踏の中に見え隠れする個性が、鼻を通して伝わってくる。 群衆が生む孤独と生温い無関心の中で、香りは一つの自己表現でありコミュニケーションになっているのだ。
そう思いながら、今日もお気に入りの香りを纏って歩く。
書いた人『ちょび』
商品企画1年目。夢は香りのエキスパートになること!